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"一ノ瀬"という名字に憧れを持つ人の日記

決めた

大学ノートに日記を書くようになってからこのブログが置き去りで、タイピング能力も残念ながらどこかに置いてきてしまったみたいです。

 

ネットニュースを見ていると夏休みももうすぐ終了ということで。

 

夏休みといえば、エアコンが効いた部屋で食っては寝て、スマホを眺め、Netflixを観て、友だちと遊び、たまに課題をやるという生活リズムが恒例。

 

しかし社会人となってしまった私に夏休みなんてものはありませんでした。

毎朝8時半には家を出て、帰宅するのは早くて18時半。

ご飯を作り、シャワーを浴びてボーッとしてると眠気が襲ってくる。

勉強しようと思っているのに、気づいたら寝床を作って歯磨きをしてYouTubeを眺めているそんな日々です。

 

ただ前から言っていたように大卒にはなっておこうということで、自分自身に投資をすることにしました。専門卒なので編入学ができ、3年生から籍を置くことができます。最短で2年で卒業ができ、10月入学なので同年代の2001年生まれの子と比べると半年遅れで卒業ということになります。

 

その間通学制には”青春および人生の夏休み”というものが存在しますが、通信制には”勉強+社会人経験”くらいしか当てはまる気がしません…

 

なぜ自分が専門学校に通うことに決めたのか甚だ疑問です。楽しくはありましたが、この後の人生において何か活きることがあったかと言われるとノーに近い。写真について少しは詳しくなりました。ほとんどの広告写真はレタッチという名の加工が施されており、汚い顔でも綺麗に直せることや、カメラ技術の向上により誰でも綺麗に写真を撮れるという事実。だから専門学校の講師はカメラマンになるより〇〇になれ、と言っていましたが忘れた。

 

全く関係ない簿記2級の資格を独学で取れたのはよかったかな(どこの企業にも経理は存在するので、どこかで実務経験積めば食いっぱぐれない?)

 

最初から大学生になればよかったんです。勉強を習慣化できていればよかったんです。

でも今更そんな後悔しても遅いので、なるようになるさと楽観的に生きてるのです。

 

この21歳そこらの何も経験のない若造が転職するって言ったって、企業は評価してくれないのです。転職においても学歴社会で、何かしらの実績も求めてきます。参った。勉強が苦手で逃げてきたのに結局死ぬまで勉強しなくてはいけないみたいで。

 

「ふくはうち」に『不苦者有智』という漢字を当てることがあります。 意味は「どんな逆境にあっても、智恵が有ればそれを乗り切ることができる。 だからこそ順境にあっても智恵を磨いておくことが大切である。」

 

引用:

不苦者有智(ふくはうち) | 認定NPO法人淡海かいつぶりセンター

 

ちょっと前に見つけたものですが、ふくはうち。

なるほどなあ。

 

私は就職するとき「給料安くても楽しく働ければいいかな」と思っていましたが、気が変わりやすいので、その半年後には「福利厚生がしっかりしていて尚且つ高給がいいな」なんて思うようになりました。(一人暮らしで住宅補助ないのはきつい…)

 

それなりの企業で働くにはやはり何らかの証明をしなくてはいけなくて、だから私は大きく分けて2つ。大卒資格と語学力をこの2年で磨いていきたいと思いました。

 

半年間正社員として働きながら思ったことは「ここでずっと働くの?」という疑問。

 

これから仕事も忙しくなっていく中で、やはり何かをバックグラウンドで稼働させながら自分を追い込んでいくのは成長につながると思っています。無理のない範囲でしかできませんが。

 

そもそもの話私は組織に向いておらず、ゆくゆくは独立して収入を得なくてはいけないのですが、公認会計士でも目指す?という安直な考えで、その後に立ちはだかる大きな壁(学費、少なくとも2年間勉強漬けの生活、受かるのか?)を睨むばかり。

 

あー宝くじでも当たらないかな、なーんて買ってもいないのにな。