実家に帰ってきてから玄米を食べてる。
玄米を食べると体の毒が出るから、具合が悪くなって大変だけど今回は大丈夫。
いつもだったらスマホしかいじらない怠けた生活を送ってるけど、今回は少し意識して読書をしたり勉強をしたり。
小学校から勉強ができなくて、担任の先生は家庭訪問に来るなり
「〇〇くん算数できないんです」と親に言ってた。母はびっくりしてた。
玄関先で言われたことに。(それもだけどそこじゃない)
放課後その先生に教えてもらったりもしたけど、さっぱりだった(笑)
中学も高校も公立に行った。
高校は商業高校に行った。
商業科目が楽しくて、学ぶっていう行為が好きになった。それが高校2年生のとき。
同じ科の生徒は80人くらいだったけどその中の5位くらいを取れるようになり、検定も全て取れて生きてきた中で1番充実していたと思う。
周りが勉強しない=自分を輝かせられるのではないかと思う。
やったらやっただけ成績につながるってやっぱり嬉しいものだなあと。
でも一般科目は普通科に比べるとやはり劣る。
教科書の習う範囲含め、知識として身につくものが。
一般受験は向いてない、そりゃあ商業高校だから。
でも勉強できない人が進学校、自称進学校の普通科に行っても、対してできるようになるわけでもない。
中学校時代に勉強ができてたからといって進学校に行っても、落ちぶれて自分に自信がなくなるかもしれない。
どこの学校に通うかにもよる。都会はいじめが多いという話を聞く。実際にそうかは分からないけど。
うちの親は無理に勉強させることはなかった。だからゲームばかりしてた。でもゲームも舐めてはいけない。たまごっちでひらがなを覚えたのだから。あとは食べたいものを食べるためにハサミの使い方を覚えた。実用的だと親にはよく言われる。
高校3年のときの担任が言った。
「やりたいことがなければ大学に行く必要がない」と。
それは違くないかと今まで思ってきた。あの時大学にいけばまだ働かなくてもいいのになんて思ったりもしたし、やりたいことが分からないから行くのもありなのではないかとも思ったりした。
ひょんなことから大卒の資格を取るために働きながら通信大学に行こうと思った。
それを考えたとき、やりたいことが見つかって動き出す自分になんか心地よさを感じた。
担任の先生はそういう感覚になった人を大学に行かせたかったのではないかと思った。
今までの専門の単位が無駄にならなくて、しかも高校のときに取った販売士の資格も大学の単位として認めてもらえる。
あー今まで無駄だと思ってきたものは無駄ではなかったんだなって。そして商業のことをもっと学びたいと思ってるんだなって。
もう少し早く考えられればまた違った将来も見えていただろうけど、働きながらということもありなのかなって。
そんなことを考えてる。
入学するとしたら会社員ということに少しは慣れたであろう10月かな。