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"一ノ瀬"という名字に憧れを持つ人の日記

引越し後の慣例

引越しして落ち着くと、その町の図書館に足を運ぶということが自分の中で慣例となっている。

 

とりあえず館内をぐるっと回る。

無意識のうちに必ず探している”江國香織”と”齋藤孝”の本。

 

はじめてみるエッセイと新書。

借りるかどうかは、タイトルと、1ページ目で誘われるか否か。

 

図書館カードを作った。

 

前職で心が荒み始めてから全く読書をしなくなってしまっていた。

転職して心機一転、また読み始めることにする。

一人暮らし4年目、コロナも4年目

3度目の引越しをしてから1ヶ月が経つ。

 

一人暮らしを始めてはや3年、今年で4年目という実感はない。

こうやって振り返らないとそんな月日が流れていたんだというほどにテキトーに生きている。

 

さて引越しをするとなんとも億劫で、楽しい住所変更がもれなくついてくる。

 

今は夏に外出るより幾分マシだし、警察署とか区役所とか、こういう機会がないとなかなか行かないから、気分が乗ってしまえば楽しい。

 

冬はもちろん、春や秋は寒さを感じる瞬間が少なからずあって、羽織ったり着込んだり、ポケットにカイロを入れたりすればどうにでもなる。

 

でも夏はどうにもならない。

ボディシートで汗を拭き取って、若干の涼しさを味わって5分も経たないうちにまた垂れてくる。

 

コロナ禍の夏なんて地獄だった。今年はみんなどんなスタイルだろう。

 

マスクをつけるつけないは自己判断、検査費用は自己負担。

依然として罹る人は罹る。

 

9割の人はまだつけてるイメージ。

 

落ち着いたとはいえ全国で5,000人くらいは未だ陽性になってる。

 

0になるのはまだまだ先なんだろうなあ。

転職活動の振り返り

・仕事を辞めた後に次の仕事を探す。

・祖父の農家を継ぐ。

・一旦親元へ戻ってモラトリアム期間を思う存分に謳歌する。

 

そんな考えもあった。

 

まだ働き始めて1年経っていなかったから雇用保険の受給対象には当てはまらない。

 

仕事でいっぱいいっぱいというか、精神を削られ始めた状態で転職活動をするのはいかがなものかと思ったけれど、かえってそれが息抜きになっていたのかもしれない。

 

履歴書や職務経歴書に、これまでの”自分”を振り返りながら欄を埋めていく。

 

面接があるから、必然的に自分を売り込むための情報が大事になってくる。

わかりやすく伝えるにはどのような言葉を選ぶべきか。

 

そんなことを空いた時間に考えるのは意外と楽しかった。

転職活動だけに活かすわけではないし、これからの自分にも活きることだからかもしれない。

 

辞めた後に仕事を探すとしたらどのようにしていただろう。

焦ってたかもしれないな。

 

2社目の会社で働き始めてそろそろ1ヶ月経つ。

スカウトされたのがきっかけだった。

 

自分から応募したところは何度か落とされてちょっと投げやりになっていたとき。

そのころにメッセージが来たからせっかくだし面接に行ってみようと思った。

 

2回行ってその場の雰囲気に違和感を感じなかったので内定承諾した。

 

自分から応募したところと違って褒めてもらえるのは新鮮だった。

 

スカウトって怪しいイメージがあったし、入社する前に提示された条件と全く違うってこともなくはないと思っていたから、少しだけ拍子抜け。

 

収入も少しは上がるけど都内だから家賃が馬鹿にならない。

その分プラマイちょいマイだけど、やりたかった仕事をできている自分がいるからいいんだ。

 

残業もなく上がれるのはいいことなんだけど。

前の会社では残業して入ってくる2万円くらいが生活の足しになっていたんだよなあ。

 

徐々に仕事を引き継いで、

入社して1週間目のように「やることないなー」「暇だなー」なんて、言えなくなってきたけど眠さは相変わらず。

 

お昼休憩後の1時間は昼寝時間にしてほしい。

 

前の会社の休憩室は和室だった。

イグサの落ち着く香りの中、横になって20分くらい仮眠してたのを思い出す。

 

今の会社にはない前の会社のいいところ。

 

あとは退職金制度があったことかな。

残念ながら今の会社にはない。

 

10年も勤める気はないけど、これから働いている間にその制度が確立したならずっとこの会社でもいいかななんて。みんなの性格が変わったり、自分と合わない人が入ってこない限り。

 

住宅補助の金額を少しあげてほしいのも追加で。

仕事辞めました

去年4月に入社し、約10ヶ月勤めた会社を退職した。

誰かと比べてしまうと早いのかもしれない。

 

高校の頃の友だちと話すと、とりあえず3年は働くかなあって。

私が通っていた商業高校の人は、卒業するとそのまま就職する人が多い。

(2020年3月に卒業したから、今年でちょうど3年経つらしい)

 

他の会社で通用すること・自分がやりたかったことなら、

3年働いても良いと思うけれど、それが当てはまらなかったから辞めた。

もちろん転職先を決めてから辞めた。

 

決まらなかったらとりあえず1年経つまで、つまり4月まで働いた後に辞めて、

雇用保険からおりる手当を頼りに生活しようと思ってた。

 

でも4月まで働きたいと思うような環境ではなかったし、

別な仕事も任されそうな感じだったし、

直属の上司も他部署に異動になるようだったから、

(退職の話を伝えた後に聞いたことだけど)

結果的に早めに切り出してよかった。

 

実家に帰るという選択肢もありだった。

けど1人暮らしをしてしまうと、自分のリズムで生活できる楽さを手放すのも

惜しいと思った。その分家賃分のお金は貯まるけど、あまり親に負担をかけたくない。

 

テレビはまだしも、洗濯機・冷蔵庫の置き場がないし、

使えるのに捨てるのはもったいない。

 

現実的に考えて1人暮らしをしてたほうが良いということ。

 

今回、声をかけてくれたところに転職することにしたのだが、

場所が都会!ってところのすぐ近く。

 

家賃で給料の半分くらい持っていかれそうなところなんだよなあ。

(住宅手当がわずかながら出るけど、それでどうしろという…)

今より給料は上がるから、まあ妥協できるレベル

 

今住んでいるところから通うということもできたけど、

朝から満員電車に乗りたくないし、1時間もかけて通勤したくなかった。

 

自転車で通うということをここ10ヶ月やってたけど、

風が強い日なんて何のために会社に行くんだっけ?って思ったし、

雨の降ってる日なんてカッパ着てたのに結局濡れてうわー帰りたい!ってなったし。

 

会社まで自転車で20分も離れてるところに家を借りたのが間違いだったけれど、

それにしても大変だった。

 

送迎バスも出てたけど、1時間に1本だけだったし、22時半が最終。

13時から22時が定時の私がバスに乗ろうと思ったら、

22時を過ぎて、自分の業務がイレギュラーなしで終わらない限り無理だった。

 

物流会社に勤めていて、およそ50名の乗務員の進捗管理がメインの事務だったので、

うまく現場が回ってないと、よくわからないことがあったとしても

自分が窓口となって解決しないといけなかったし、

(上司も帰ってるし、頼りたいときに頼れる人がいなかった)

退職2ヶ月前から事故ばっかりで嫌になった。

 

電柱にミラーぶつけるし、

道路から落ちるし、

今年だけで5回くらいあった気がする。

自損事故だけで済んでよかったけど!!

 

ひとりひとりに割り振られてる配車(○○センターに配送を3箇所〜4箇所)を

変更するこっちの身にもなってほしかった。

 

基本的に事故を起こした人はもう配送できない決まりで、

誰かにその残っている配送をしてもらう必要がある。

進捗管理をしている自分が、頼みやすい人に頭を下げてお願いする(電話で)。

頼みづらい人の場合「なんでおれなの?」「他の人もいるじゃん」って言ってくる。

頼みやすい人の残業が多くなり過重労働になってしまう。

産業医面談を行わなければならない

lose loseの関係のできあがり

 

せっかちな人・短気な人を相手にするこの仕事で、こんな安月給で働く気にはならないと思った。

 

優しい人は優しかったけど!

前職の愚痴はこの辺にしといて、

 

 

通勤のストレスを無くすってなると、徒歩圏内の家に住むという選択肢しかないわけだ。(ないわけではないけど)

 

もう部屋は決めてきた。

今まで2箇所の部屋を借りてきたけど、この3箇所目が1番良いところかもしれない。

 

1人暮らし初めての

2口コンロ・追い焚き機能付きバス

 

若干部屋は狭くなるけど、なかなかいいのでは?

最寄り駅までの時間も今までより短縮できるのは◎

 

今までの会社は

シフト制、完全週休2日制(必ずしも土日ではない)、休日が120日未満

 

次の会社は

シフト制ではない、完全週休2日制(土日)、祝日休み、休日が120日以上、経理

 

そう、経理の仕事ができる。

専門学校卒業前の暇な時間に簿記2級を取っててくれてありがとう自分!

未経験なのに雇ってくれてありがとう弊社!(まだ貴社?)

 

面接2回とも会社に行って話したけど、違和感なし雰囲気よしだったから承諾した。

実際は配属部署の人間関係が1番大事だからまだ何とも言えない。

 

関係ないけど、転職の面接は新卒の面接に比べてゆるくて楽しい。

 

更新が途絶えたこのブログをちょくちょく見てくれる人がいて嬉しい。

有益な情報はそこまでないと思うけど、何か参考になってたらいいなあ。

決めた

大学ノートに日記を書くようになってからこのブログが置き去りで、タイピング能力も残念ながらどこかに置いてきてしまったみたいです。

 

ネットニュースを見ていると夏休みももうすぐ終了ということで。

 

夏休みといえば、エアコンが効いた部屋で食っては寝て、スマホを眺め、Netflixを観て、友だちと遊び、たまに課題をやるという生活リズムが恒例。

 

しかし社会人となってしまった私に夏休みなんてものはありませんでした。

毎朝8時半には家を出て、帰宅するのは早くて18時半。

ご飯を作り、シャワーを浴びてボーッとしてると眠気が襲ってくる。

勉強しようと思っているのに、気づいたら寝床を作って歯磨きをしてYouTubeを眺めているそんな日々です。

 

ただ前から言っていたように大卒にはなっておこうということで、自分自身に投資をすることにしました。専門卒なので編入学ができ、3年生から籍を置くことができます。最短で2年で卒業ができ、10月入学なので同年代の2001年生まれの子と比べると半年遅れで卒業ということになります。

 

その間通学制には”青春および人生の夏休み”というものが存在しますが、通信制には”勉強+社会人経験”くらいしか当てはまる気がしません…

 

なぜ自分が専門学校に通うことに決めたのか甚だ疑問です。楽しくはありましたが、この後の人生において何か活きることがあったかと言われるとノーに近い。写真について少しは詳しくなりました。ほとんどの広告写真はレタッチという名の加工が施されており、汚い顔でも綺麗に直せることや、カメラ技術の向上により誰でも綺麗に写真を撮れるという事実。だから専門学校の講師はカメラマンになるより〇〇になれ、と言っていましたが忘れた。

 

全く関係ない簿記2級の資格を独学で取れたのはよかったかな(どこの企業にも経理は存在するので、どこかで実務経験積めば食いっぱぐれない?)

 

最初から大学生になればよかったんです。勉強を習慣化できていればよかったんです。

でも今更そんな後悔しても遅いので、なるようになるさと楽観的に生きてるのです。

 

この21歳そこらの何も経験のない若造が転職するって言ったって、企業は評価してくれないのです。転職においても学歴社会で、何かしらの実績も求めてきます。参った。勉強が苦手で逃げてきたのに結局死ぬまで勉強しなくてはいけないみたいで。

 

「ふくはうち」に『不苦者有智』という漢字を当てることがあります。 意味は「どんな逆境にあっても、智恵が有ればそれを乗り切ることができる。 だからこそ順境にあっても智恵を磨いておくことが大切である。」

 

引用:

不苦者有智(ふくはうち) | 認定NPO法人淡海かいつぶりセンター

 

ちょっと前に見つけたものですが、ふくはうち。

なるほどなあ。

 

私は就職するとき「給料安くても楽しく働ければいいかな」と思っていましたが、気が変わりやすいので、その半年後には「福利厚生がしっかりしていて尚且つ高給がいいな」なんて思うようになりました。(一人暮らしで住宅補助ないのはきつい…)

 

それなりの企業で働くにはやはり何らかの証明をしなくてはいけなくて、だから私は大きく分けて2つ。大卒資格と語学力をこの2年で磨いていきたいと思いました。

 

半年間正社員として働きながら思ったことは「ここでずっと働くの?」という疑問。

 

これから仕事も忙しくなっていく中で、やはり何かをバックグラウンドで稼働させながら自分を追い込んでいくのは成長につながると思っています。無理のない範囲でしかできませんが。

 

そもそもの話私は組織に向いておらず、ゆくゆくは独立して収入を得なくてはいけないのですが、公認会計士でも目指す?という安直な考えで、その後に立ちはだかる大きな壁(学費、少なくとも2年間勉強漬けの生活、受かるのか?)を睨むばかり。

 

あー宝くじでも当たらないかな、なーんて買ってもいないのにな。

時間だけが経過してる

お久しぶりです。

更新自体は1ヶ月ぶりになりますか、社会人になってもうすぐ2ヶ月が経過しようとしています。

 

前回更新から本日までの間に母の日がありました。

誕生日と母の日が近いこともあり、母の日に何かプレゼントをしようと思っても「この前あげたからまあいっか」となることがここ数年ありまして。

 

いや誕生日でさえ何かあげた記憶がないバカ息子なんですが、今年からはちゃんと感謝を伝えようという気持ちになったので、誕生日はハンカチ、母の日はお花をプレゼントしました。

帰省した時に花が咲いている家のほうが気分が上がりますし、個人的に紫陽花が一番好きなのでそれをあげました。喜んでくれたようで何よりです。

どちらも白いものをプレゼントしたので、今年家族にプレゼントするものは白で統一しようかしらと考えていますが、きっと思うようにいかないでしょう。

 

父の日こそあげた記憶がないのですが、どうしましょう。

 

 

仕事のほうも2ヶ月経つと、なんとなく掴めてきた部分があります。

バイトしてたこともあって、人間関係は適当にこなしているつもりですがどうでしょう?

 

デスクワークなので体が硬直します。バイトは立っていることが多かったのですが、ずっと立っているのも座っているのもどちらかに偏ってしまうと疲れますね。

 

昔のブログを遡ってみると、キレートレモンを飲んだり筋トレをしたりしていたのが懐かしく感じます、今はどっちもしていません!

 

ワイルドスピードを観始めた影響で、ムッキムッキの体型に憧れ、また筋トレを再開しようと思っていますが、思っているだけなのでほど遠いですね。

スキンヘッド似合う人いいですよね、私は絶壁なので絶対似合いません…

 

セブンでこの前久しぶりに唐揚げ棒を買ったんです。そしたら昔食べていたサイズより小さくなっていて残念でした。私の夢みたいに大きくならないかしら()

 

くだらないこと言ってるうちに時間だけが経過しています。

 

今日は19時から髪を切りに行きます。この辺でリピートできるところをまだ見つけられていないので、今回のところが当たればいいなと思っています。

母の誕生日

金土休みの、シフト制の会社に入ってしまったので私のゴールデンウィークはないも同然。一応三連休はありますが、泣いていいでしょうか。

 

まだまだぺーぺーで、仕事も少ししかもらえないので、いかに非効率に進め時間が過ぎるのを待ち、いかに仕事しているかのように見せてサボるか、これを心がけております。

 

こんなこと言えるのもいつまでかは分かりませんが、暇があるうちに料理に凝ったり他の勉強をしておこうと思います。

 

ところで昨日は母の誕生日でした。

プレゼントはネットで買って届くようにはしてましたが、扶養から外れて使い物にならない保険証を届けなければならないし、ケーキも食べたいし()

 

ということでまたバイクに乗って帰省しました。行きは下道を通っておよそ3時間。朝6時過ぎに出て着いたのは9時です。

ちょうど通勤ラッシュとも重なってしまい少々渋滞してる道で向かっていました。

 

高速と違って、信号とか一時停止とかで止まってばかりで疲れたので、帰りは高速で帰ってきました。1時間半くらいで着くので差は歴然です。高速代は掛かりますが、電車で往復するのと比べると安いものです。

 

帰省となると、横浜に住んでいたときは崎陽軒のしうまいを手土産に持って行ってたのですが、いまの住まいの有名なものがそんなにない?し、積載性の悪いバイクなので、荷物をあまり持っていくことができない、ということで最近は手ぶらになってしまってます…

 

私ももうハタチということで、それと同時に周りのみんなも歳を取っていきますね。

 

姉は昨日有給を使ってディズニーに行ったようで、まあまあ近いから行くということで、今日少し顔を合わせてから帰ってきました。

 

昔のようになかなか家族全員そろって出かけることも難しくなって、なんだかしみじみ思います。

 

最近、私の美術の教養レベル(芸術作品、さすがにモナリザとかゴッホとかは分かりますが、ヴィーナスの誕生って誰が描いたんだっけっていう…)が低いなと思ったので、本を読んで知識を身に付けています。

 

帰省先の図書館で目についたのは、江國香織の『日のあたる白い壁』。

 

家に帰って読んでみると、意外にすらすら入ってくるし、すきな画家も見つけました。

 

エドワード・ホッパー

 

「海辺の部屋」という作品の描写、言語化は残念ながら難しいのですが、私のお気に入りの一枚となりました。

 

そんなことをして、誕生日の母と過ごしたわけですが、やはり親元を離れるということは大切だと思いました。

 

ずっと一緒にいたら無口になるし、喧嘩(口論)もたぶんしてしまう。でも離れてたまに会うくらいだと、お互いの近況とか話したいこととかがすらすらと出てくる。

 

もう一緒に暮らすことはここ何年かはない(帰省を除いて)とは思います(たぶん)が、案外近いところに住んでいるので、なにかあったとしても安心かなあ。

 

back numberの「手紙」「ささえる人の歌」がぐっときます。